今日、人が死んだ。
いや、多分今日じゃないんだけど。白骨化してたらしいし。
私の地元、それも実家の程近くで死体が見つかった。
なんだか実感がわかない。そりゃそうか。こんな東京の片田舎が全国区のニュースになっているんだから。驚いた。タマゲタケ。ポケモンじゃん。
コイツ不謹慎ネタ大好きかよ!!!って思う人もいると思うけれど、私はこれでも心を痛めている方だ。だって自分の生活圏内で人が誰かに殺されてるんだよ?殺されてなかったとしても遺棄。それは殺人とほぼ同義じゃないか?
当事者ではないから当事者意識は持ち合わせていないが、自分だけ大丈夫なんてことはない、次は自分の番なんじゃないかってくらいの恐怖はある。
恐怖を感じている。
私の家のすぐ近くには人殺しが住んでいる。私はその人の顔を見たことがあるし、なんなら話したこともあるし、ソイツの子供と遊ぶために家に行ったこともある。私の人よりは一回り大きい耳に挟んだ話によると、ソイツは冬の寒い日に誤って人を殺してしまったらしく、私はその話を聞いて恐怖を感じずにはいられなかった。しかもつい先日、ソイツの顔を見てしまった。最悪だ。
なんで、家族を持って、人を"誤って"殺してしまって、のんきにお天道様のもとで生活が出来ているのか。贖罪の気持ちがあろうとなかろうと私はソイツの海の底を見、空の果てを見たような気になっている眼を見て、怒りがこみ上げてしまった。
こうやって贖罪に勤しむ殺人鬼を見て、怒ることはいけないのだろう。
それこそ自分が、"自分こそが牢の中に入っているべき人間なのだろう。"
それでも私は、まるでそこで死んだ人がいなかったように笑い、接客をこなしているソイツを赦すことはできない。
もし、知り合いが過ちを犯したら、あなたはどのように憤慨し、どのように慈しむのか?無関心か?
それとも、
"人を殺した知り合いなんて最初からいなかった?"
殺したのはあなただ。
地獄があるなら、地獄に落ちろ。