死後の影響は生前

碌でもない人生を送っている、と思う。人間失格じゃん。羊だけど。

 

羊なの忘れてない?

 

私は"わたし"のことが嫌いだ。顔と鼻が大きくて目が小さいところとか、胸板が薄いところとか、すぐに息がヒュウヒュウしてしまうところとか、声が出ないところだとか、人と目を合わせると、仲のいい人だとしてもすぐに目を伏せてしまうところとか、無駄に赤い手とか、とにかく欠陥だらけだと思う。

神様が人間をつくったというのならば、もう少しばかり整品の質基準を上げてほしかったもんだ。

容姿もそうだけれど、自分の考え方も嫌いだ。決定力に欠けるところだとか、意志の弱さだとか、無駄なくらいに惚れっぽいところとか、妥協が大好きなところとか。

 

 

 

やっば!!!!!!!!!死にたくなってきた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

話を戻そう。

 

自分の嫌いなところとか、メンヘラの特徴とか、今日の朝の占いだとかを信じていても信じてもいなくても、今日も空は高いし低いし青いし黒い。そういうもんだ。

だから自身の価値を決めるのは自分だし、いつもはパサパサな肌が若干瑞々しい時とか、少しだけ化粧のノリが良い時とか、髪の毛があんまり跳ねていない!時とか、そういう"調子の良い"時には調子に乗っても構わないのだ。

 

だって、自分が死んだら世界はそこまでなのだから。

 

今までに人類が積み重ねてきた歴史も自分が生きてきたという事実も昔の偉い人が考えていた正義や徳の話も自分の考えていることすらも、自分が死んだらすべてが終わる。世界が終わると好きなバンドの新曲は出ないし、週間連載の漫画は連載されないし、私のブログも更新されない。

 

今このブログを読んでくれたあなたには無限の価値があるし、それは投稿者である私が保証する。読んでくれてありがとう。また読んでください。

 

なので生きてください。

 

 

 

程々に頑張ろう、名もない知らない誰かさん。