粘土とにらめっこ

近現代美術が苦手だった。

 

あのぐちゃぐちゃとした線とか、 カクカク している線とか、激しい配色だとか、

それを見て偉い人が、「これは素晴らしい芸術だ」というと皆が意味も分からずに讃頌して、という一連の流れも含めて、分からない人は排斥されてしまうような芸術が苦手だった。私は綺麗な世界を見ていたかったし、 "その" 独特な世界の切り取り方がわかるとも思っていなかった。

 

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行ってきました。岡本太郎美術館

 

 

www.taromuseum.jp

 

岡本太郎って誰?どんな人?

岡本太郎って誰?って人は、お父さんやお母さんに聞いてみよう!

ざっくり説明すると「芸術は爆発だ!」の人である。あと太陽の塔の人。

暁…の人、は、確実に着想はそこからだけれど大目に見てやってほしい。

 

 

 

 

展示を見た

先に展示の感想から言うと

とても良かった。

 

終始理解できないものと対峙する恐怖と戦ったり、理解しようと脳味噌や心と対話していたためとても吐きそうになったが、これはこれで正しい楽しみ方(というか味わい方)なのだと思った。正常な反応だわ、多分。出てきた時の疲労感が半端じゃなかった。長い間立っていたから足は棒だし、考えすぎて頭はぼーっとしているし、散々に楽しんだ。

 

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(撮影可能の場所もあるので、行ったらぜひ写真を!)

説明が切れちゃってて申し訳ない。

若い男女が陽光の下で踊ってるらしいのだが、

一発では全く分からなかった。

そもそも男女なのか、これは。男女となると、どちらが男でどちらが女なのだろうか。などと考えていると不思議と見えて…こない。こないのだが何故かぼんやりとした境目が見えてくるような気がした。このような胸の内の葛藤も芸術なのかもしれないと、なんだか無教養な人間なりにそう感じた。

(下の画像と上の画像が少しだけ違うのだが、マルの部分に注目すると少しだけ人の形に見える。なんだこれは。気持ち悪い。気持ち悪いけれど好きだ。)

 

 

芸術を生活に浸透させる試み

 

そう言えば岡本太郎の絵で有名なものって、

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これだ。

渋谷駅の壁にドドンと飾られているコイツ。親の顔より見たアイツ。

見向きされているかはわからないけれど、この絵が駅にあって、朝の通勤ラッシュの時、昼間の割と閑散とした時間、夕方の帰宅ラッシュのいずれの時でも空間に調和していることを考えると、岡本太郎の芸術に対する啓蒙は成功しているのかなあ、と思う。スクランブル交差点を上から見てインスタに写真を上げる前に、ついでに、ぜひこちらも観て欲しい。

 

岡本太郎の描いた目と対話して、創作したオブジェの空洞を覗き込んで、自分なりに考えて欲しい。何を思ってこれをつくったのか、手がどんな風に動いたのか、この部位は何なのか、そもそも考えるのはナンセンスではないか、等々何でもいいと思う。

 

決して綺麗ではない、訳の分からないものと向き合って、恐怖なり困惑なりに

"興奮"することが、

味わい深い時間、得難い時間になると思う。

 

 

それでもって、わからないことは何も悪くないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとだけ、近現代美術に興味出てきたかも。

 

 

※完全な私見なので感想は人それぞれだ。