香水は嘘を吐かない

年下の人と話すのが、あまり得意ではない。

 

この前誰だかに言ったけれど、相手の知らない事を自分が知っていた時に、驕るような心持ちになることがあるから。

 

それは全く私の狭量さによるものなのだけれど、どうやらわたしはひどく傲慢で、どうしようもない自尊心の持ち主なのかもしれない。

 

たかだか二十数年生きて、少し見たもの、聞いたものが多いだけで、トータルで何も誇れることなんてない。

正しく生きても成功ではない。

多分、その年下のみんながすくすくと育って、今の年齢くらいになってみたら、

(ああ、こいつはこんなにペラッペラの論理とどこかでみたような知識だけで、延々と話していたのか…)

(もっと深くまで思考しているように見えたのにな……)みたいに思われてしまうのだろう。

 

来るかもわからない未来だけど、私はそれくらい思われそうだなっていう恐怖感で、今日もなんとか生きて、あんまり自慢しないように——?

 

 

眠すぎて思考が回らない。自分に素直に。

私は加害者

自分の加害性を認識する事は、とっても難しくて勇気のいる作業だと思う。

 

なので、私はもう言ってしまう事にした。

 

「私は加害者です!悪いやつです!悪いやつですが、いいやつになりたいと思ってます!」

 

「打算でもなんでもない、対等な関係を築けるように頑張ります!」

 

「間違っていたら教えてください!あなたが必要としているなら、間違っていたら教えるから!」

 

「わたしはあなたを尊重するので、あなたも私がいるという事実を尊重してください!」

 

友達は、めちゃくちゃ増えた。

恋人は、現在進行形で減りそう。

 

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自分の加害性を認知できないと、逆の事が起きちゃうかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひいてはこれが、初等教育でもこんこんと説かねばならぬ、人の気持ちを考えるってことなのかも。

 

それでは。

おはよう大殺界

リルケはバラの棘が指に刺さって、その傷が原因で死んだらしい。

これって本当?

よく分からないけれど、考える事ができているって事は、どうやらまだ私は死んではいないみたいだ。

 

長い眠りから覚める。

布団の中で、脂質不足でできたであろうささくれを眺める。仮にこの棘を忌み嫌い、取ったとしても、傷付くのは私だけだ。

息を目一杯吸い、吐く。深い溜め息。

息を全部吐き切ると、脳が酸素を欠いて、瞼が重くなる。目がとろんとする。布団にくるまっているので、少し暑い。

頭の中でシューゲイザーがわんわんと鳴る。

音の奔流に呑まれて、鼓膜の振動を通じて脳に伝わる情報を処理するのに時間がかかる。

音楽のことしか考えられなくなる。

轟音の中で、か細い声を探り当てる。

 

よし。私は今日も生きている。

息を吸う。

私は今日も、生きていかねばならない。

 

 

私は全てを見た人になる。

絶望が最後ではないよ。

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補遺

仮に正しく人を罵りたいのであれば、正しくないと断じる理由を得るために、話し合いの場には参加しなければいけないよ。

 

片方の論理だけで罵倒しちゃうと、自分の立場も危うくなっちゃうから……

2024/3/31の私は 2014/3/31の私が夢見た私?

いつも通りの自分の話。

 

ちょっとだけ頭が大きくなってから、自分も誰もかも、あんまり先鋭化しないように、ちょっとだけ気を付けていることがある。

 

絶対に怒らないこと!

 

脳がどんなに捻じ切れそうで、胃液が逆流してきて、常に口の中が痛くて、1日に1食くらいしか食べられないくらいに苛まれても、

 

絶対に直接相手にぶつけないこと!褒めること!それが却って相手を傷付けても!

相手がどんなに怒って欲しくても、否定される事でしか生き甲斐を感じられなくても、そういう生き方を、教育を、強制されてきたとしても、怒らないこと!

理解したいという気持ちを絶やさないこと!!!

これは私の考える不文律。

私は悪人扱いされてもいいけれど、私の考える悪人にはならないし、なれない。

 

どんなに、どんなにだよ、誰かが自分の見えるところで自分の悪口を言っていようと、変なインフルエンサーのどこにでもある「それってこっちから見たらそっちも同じことやってない?」のツイート——〇〇する人はダメ、〇〇な人には気を付けろ、みたいなつまんねーツイートをいいねしていても、それがタイムラインに流れてきても、それをつまらないことだよって、モラハラとして感じることもできるよって直接言ってどうしようもなく傷付けてしまうことが、私にはどうしてもできないんだよ、

正直に言うことは(ある意味では)優しさでもあるけど、唾を飲み込み続ける事は自分以外の誰にもできないって、そう思いたいんだよ!

 

少なくとも、わたしは10年間、ちゃんとおもってるよ!

 

重く溜め込みすぎた。自分の軸足を他人に仮託し過ぎた。

もうちょっと自分の意見も自立させないとね

 

 

それでは。

人を傷付けることに無頓着になっている(大人になっている)。

毎日ひとつ上の段に手を届かせるために、ジャンプをしている。

ひとつ上の段に手が届くと、少しの自信と、心の隙間が手に入る。

 

下の段には帰ることはできない。下の段に行くと、真っ白な部屋に連れて行かれてしまうから。

下の段にいる人に心を配ってはいけない。

下の段にいる人とは話が合わない。

 

私はまだおかしい人みたいな判定を受けたくない。

 

そういう恐れが、転じて無頓着さとして出てきて、ひとつ上の段にいけるのかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなの御免だけどね。

 

それでは。

私は私以外の何者にもなれない(少なくとも今世では)

まだ4月の上旬なのに、事前の天気予報は傘のマークが時間も場所も所狭しと並べられていたと言うのに、しっかり晴天で、そんな空の下で数時間もこんがり太陽に焼かれてしまった。

なんか、心なしか耳の後ろとかがじりじりしている気がする。

ヨルシカのライブに行った。

今までは、1人で行くか、同行者(記憶から消している元カノ)と行ったか、くらいしかライブは経験したことがなかったけれど、改めて色んな人と話すことが出来た。

各々、惚れた、腫れた、病んだ、病まれた、ブロックした、された、みたいな地雷原をこれまた絨毯みたいに敷き詰めて、そこを平気で踏み抜いてしまったり、流石に気を付けたりした。そこは自分の至らないところでもあるので気を付けないとなあ。

総合すると、満足している。

多分、suisさんもキイス『アルジャーノンに花束を』をちゃんと読み終えて、それが彼(彼女)なりに腑に落ちた結果のアウトプットになっていたんだろうな。と、思った。

 

鑑賞することで、ここ1ヶ月くらいの鬱屈とした気持ちが幾分か晴れる方向に向いた気がする。今年のおみくじの方角のところをちゃんと確認し直したほうがいいかもしれないけど、多分、西が良いって書かれていそうだ。そっちの方向を見ている(よりたくさんの人と関わる)ほうが気が晴れるかな。

 

 

なんだか無性に、謝りたくなった。

 

ごめん!!!

 

私はまだ、自分の気持ちに素直でいたいよ

人間のことを好きでいたいよ

焦燥感に任せ、ここではないどこかへ行きたいよ

本当の私でありたいよ

私は私以外の何者にもなれない

ように

貴方も、貴方以外の何者にもなれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お互い、成長しよう。