明けの明星

水を注いだ分、綺麗な花が咲くというわけではない。

綺麗な花を咲かせたかったら、優しい言葉をかけ、時間をかけて、適切な栄養を基礎に、適切な環境におくことが肝要だ。

私はどこかで、水か、優しい言葉か、時間か、適切な栄養か、環境を間違えてしまったのだと思う。

私が誰かと一緒にいるには、私はどうにも正し過ぎ、融通が利かず、人へ復讐心を抱き過ぎてしまうようだ。

誰も、街中にいるあなたのことなんて、見てないよ。歯牙にもかけていないよ。

みんな、他人で、どうでもいい人間だよ。

 

好きな人(いるなら?)には、虹色の薔薇を贈りたい。

きみはまだ、何者にでもなれる。そんな気持ちで。

私はまだ、コーディネーターとしての悦びなら感じられそうだから。

誰かの言った言葉を忘れない。夕方の吉祥寺、カリカリのシュークリーム、自転車、夜の寺町、明日への不安、親への不満、私は全部を知っている。知り過ぎている。

 

私の心は夜に囚われてしまっている。夜の西側から、抜け出せていない。

 

光がないと、植物は成長できない。

 

「あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。」— 新約聖書「ペトロの手紙二」

1:19

 

f:id:pontaro0:20240429234538j:image