フィルムを混ぜたマトンカレー

夕日があたり、鈍く色を変えたコンクリート。落ちてきそうな雲。赤と黄色が眩しい中華街。

 

音の無い世界が有り得ないのと同じように、色の無い世界は有り得ない。ノーカラー、ノーライフ。

 

人の動く音にも色はついてるし、その濃淡や色の寄り方でその人の気分が少しだけ推し量れるような気がする。音楽も曲調が変わっていくと色がどんどん変わっていって、色のジェットコースターを滑っているみたい。そう言えば昔、家の近くにとっても長い虹色のローラー滑り台があったなぁ。

笑うとその人の出せる精一杯の明るい色が出るし、泣くとその人が海に沈んだ時のような色が出る。色だけじゃなくてボケとかにじみとか光の度合いとかも見る事ができる。

 

色を混ぜ過ぎた人はベトベトしていて、底が見えなくて、なんだか苦手だ。ヘドロみたいだ。くさいし。悪意の奔流って言葉を聞いたことがあるけどそれはきっとドブ水のような色をしているんだろう。

 

世界の色は不思議だ。混ぜると深みが変わっていく。水彩から油絵へと、徐々に。卵でできた下地じゃなくて、この世の全てが布にも、壁にも、紙にもなりえて、それでいて綺麗に見えた。

 

お店に来たモノクロ写真を手に取って、この人達の生きていた時代にも色はあったんだな、と思う。

今よりも遥かにフィルムチックで、それでもって現実の色しか残らなかった写真。

 

 

青い、青い、空