飛べない羊 泳げない魚

お題「恋バナ」

 

 

(恋バナかな?)

 

素直に恋バナをするとまた黒歴史がどばどばと悪意の奔流を持ってして流れ出てしまうので、ここではちょっとだけ『愛』について考えたいと思う。

 

全部自分本位の考えだけれど、『恋』と『愛』の違いとは、相手に見返りを求めるかどうかだと思う。

 

 

恋の場合は、「何かの巡り合わせであわよくばこの人と付き合えたらいいなぁ〜!」だとか、「この人に好きって言ってもらいたいなぁ〜あは〜ん…」なんて考えてしまうものである。だって自分がそうだもん。

 

対して自分の描く愛のイメージ(理想主義のきらいがある)は、無償の愛の様な感じだ。というか、相手に何とも思われていなくても、自分の生活の中であるとか、その人と同じ時間を共有する段階で、実際に行為として尽くすのではなくて、好意を尽くせるかどうか(?)だと思う。相手の事を思えれば勝ち。そんな感じである。

 

今をときめく皆々様には好きな人がいたり、好きな人がいなかったりすると思う。誰か(何か)のために自分を省みずに行為で尽くす事、それも愛のひとつの形だとは思う。でも、それではただの妄信ではないかとも思う。

 

仮に好きな人が溺れている時に、自分が泳げる側の人間であったら助けに行けばいいのであって、その人と一緒に溺れるのは人生に置き換えても失敗の可能性が高いと思う。体が動くことっだてあるだろうけどさ。

 

"自分が好きな人のためにできること"

"自分が好きな人のためにできない(不可能な)こと"

をしっかり分かった上で、好きな人を尊重し、一緒に支え合っていけたら、と思う。

背中を合わせて、ごくごく稀に疲れた時に許しあえるくらいの強さで立っていたい。そんでもって一緒に海外旅行に行こう!飛行機で!!

ただの羊は飛べないからね!

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、今年の夏は溺れている女の子を助けて恋に落ちるために水泳を習おう!

まずは羊用のビキニを!!

 

 

 

 

 

 

 

溺れる者が求めてるのは藁じゃなくてあなたの手かも。