ひつじが羊毛のように長々と語るSNS処世術!

今週のお題「わたしのインターネット歴」

どーも、SNSおじいさん(おばあさん)です!やあ、どーも!どーーも。

SNSの酸いも甘いもを遠くから眺めてきた私が、今日のSNSと今では色褪せてしまった昔のセピア色のSNSの楽しみ方の違いについて、なんとなーく、言及してみます。もちろん主観的に。え、セピア色ってどんな色だっけ?

自分のSNS歴が特別長いかと言われるとそうでもないのだけれど、SNSとは割と長く付き合ってきた。主にTwitter

"昔の"と言うとどれくらい前のことなの?とか思われてしまうかと思うが、あまり前の事ではない。たかだか数年前のことだ。

昔のSNSは、今よりもずっと、のけもの(フレンズ)の集まりだったような気がする。世間からつまはじきにあい、自分のことが嫌いで、それでいて誰かを好きになりたくてやっている人が多かったように、思う。今日見たアニメの話、YouTubeにアップされたボーカロイドの新曲の話、#タグを使って見境なく人と繋がりをもって、今よりも、悪く言えば節操がなく、もっと悪く言えば学校や会社の生活が充実している人の真似をしようとしてコミュニティを形成していた。ように思う。ただ寂しさでとか、愛されることを求めてやっている人が多かったように感じる。

 

対して今日のSNSは、そういったフレンズ(?)を押し上げて、情報の量も格段に増え、その分処理しなければいけない事柄も増え、何かを言えば警察でもないのに突っかかってくる人がいて、"呟き"すら、自分に興味がないはずの誰かに見られていることを意識しなければいけなくなっている。ような気がする。度合いで言えば前よりもずっと。

引き合いに出すものではないし、例えとして合致していないかもしれないが、ゲームにおける流血表現を容認している人が、画面の向こうにいる反対派の人を言葉で叩くことに積極的であったり、積極的でなかったりする。

私はゲームの流血表現なんて好きにやればいいと思うが、反対する人を「ゲームと現実の区別が出来ないやつ」として匿名で袋叩きにするのは同じく画面の向こうにいるであろう"人間"のことを意識できていない、つまり現実とSNSが近しいものにあるということを認識できていないのではないかと思う。

(うーん、なんかちょっとズレてるかもしれない。ごめんなさい。)

自分の好きなジャンル、それがアイドルであってもアニメであってもゲームであっても野球であってもサッカーであっても、政治でも人権でも、どんな趣味であっても、肯定的な意見には目がいきにくく、批判的な意見には目がいきやすくなっているように感じる。そしてそれに対して呟きとして、自分が傷つかずに相手を傷つける という行動をとってしまう事が多い気がする。私も同じようなことをしているかもしれないし、気が付かないだけでされているのかもしれない。怖い。

もちろん、問題に対して自分の意見を言う、ということは意思表示としても表現の自由(?)としても大切だと思うが、最低限、(非常に残念ながら)不特定多数に見られていることは意識して、呟かないなり、もうちょっと言葉選びに気を使って呟くなりすると、余計な心配事をしなくてよいのではないか。そんな感じ。

議論といって人を傷つけるのではなく、人の意見を聞いて、自分の意見を検討修正するくらいが丁度いいのかもしれない。議論は相手を打ち負かすためでなく、お互いにプラスの結論に至れるように為すべきものなのだから。

 

 

 

最後に、一週間に一回プリキュアを観て、好きな人と1分30秒ハグすると、人生におけるストレスは100%解消されるのでぜひ実践してみて欲しい。

え?ソース?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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