中央線を乗り過ごして気付いたけれど、明日は始業式だ。

怒られると、とてもヘコむ。自分のミミズがのたうち回り、這いずり回っているような釈然としない字とか、狼狽する様とか、兎に角色々な人が手段を選ばずに、いたるとき、いたるところで自分の事を見ていて、自分の何につけても文句を言おうとしている。世のニートは随分と聡い選択をしているのかもしれないとさえ思った。外界からの目は勿論それはそれは厳しいものだろうけれど、それを全てシャットアウトできるだけの気合を持ち合わせているなんて。きっとそれだけの強い(弱い?)意思があれば、きっと何かに打ち込めるはずなのに。いや、そうではないか。

特に、理不尽な怒りに充てられると、とても困る。それが仮にも理によって裏付けられたものなら良いけれど、他人の美的感覚によってこちらが貶められるという行為にはもう手の打ちようがない。相手は本当に"ムカついて"いるわけで、怒りはとどまるところを知らないし、こちらも返答として申し訳ございません等新たに怒りを買うことを避けるために生み出された、相手に1ミリも触れないような謝罪の言葉を山奥に湧き出る水のように淀みなく言い切らないといけない。それはとても嫌だ。

全く、怒という漢字と、努という漢字を似せて作ったやつは誰なのかと誰かに詰問してやりたい気分だ。

あいにく自分は怒られて頑張ることが出来るような殊勝な人間ではないし、ただやる気というものが萎縮してしまって身動きが取れなくなる。それだけだ。

自分は何かトクベツ得意なことがあるわけではないし、要領も良い方ではないので、よく怒られていた。その度にやる気は遠い宇宙旅行に出掛けてしまうのだった。ルサンチマンのような意図があるわけではないけれど、怒りといった感情は、ただただ醜悪で、プラスのエネルギーに変えないとずるずるとそこに吸い込まれてしまうブラックホールに近いものだと思う。それか黒い染料。

気を付けないと周りの人まで飲み込まれてしまう。