海に沈む

感情について考えることが増えた気がする。あと音。

音が震えると感情が震える。ついでに身体も。

つい最近、強い感情にあてられて「怖い」と思う経験をした。
随分他人行儀ではあるが、若干のトラウマとなっている。朝バイトへ向かうとき、バイトをしているとき、休憩をしているとき、帰りの電車に乗っているとき。様々な場面で私が襲われたむき出しの感情が思い出された。もう少しいうと足がすくんで動けなくなった。

これは悪いことなのだろうか。日常生活が若干生き辛くなったという点ではかなりの弊害足りえるけれど、芸術―や、音楽(?)そういうフワッとしたものに対しては「空気感」をうまく感じて表現することができるようになったと思う。若干の成長ですね。はい。

怖いことは、できれば避けて通りたい。怖い思いはしたくない。けれど、それによって植え付けられた感情だとかトラウマ否定することもできないのだ。

現実の音(日常を生きる上で耳にする音、目の前にいる人の肉声)と仮想の音(これには音楽がふくまれる)のあいだで感情の引っ張り合いが起きて、できればフラットな感情でいたいと思いイヤホンを付けて大人しい音楽を聴いている私を強制的に波に飲み込む。そんな作用が「現実における感情の発露」にあるのではないかなー。と思いました。お酒をたくさん飲んでおなかが痛くなってきたので今日はここまで。また今度、どこかで会いましょう。まる。

 

 

酔った頭で行った思考の整理なので、ちょっと意味が分かりません。あしからず。