『恋とは、もう片方を探す旅だ。』

恋とは、巡り合わせである。どこかで読んだ本にそう書いてあった。自分の語った恋愛経験を思い出してみよう。

 

 

アメブr………私はここで思考が止まってしまう。悪い習慣だ。オイ。

 

 

旅なのだから、「私はここに住む!」と決まらない限り別れは惜しまれつつも避けることの出来ない運命なのだろう。毎回そう思ってるんだけどな!!!何故だろう。うーむ。

失恋した人は「巡り合わせが悪かった、他にもっと素敵な人がいる」って言わなければならない篭に囚われているけれど、

そんな訳ないだろ〜〜〜〜!!!!!!つらいよ〜〜!!!!!!!ママ〜〜〜〜!!!!!!!

ってもっと言って許されるはずだ。

 

何事をも前向きに考える事も大切だけれど、ぼけっと羊雲の羊の数を数えている期間があっても良いのではないだろうか。反省とか後悔とか憎悪とか嫌悪とかは二の次にして「そら、きれい。」って言ってる期間があっても良いのではないだろうか。

 

えっ、自分だけ?

 

 

愛をくれ!!!愛が無いなら言葉をくれ!!!!!ほぅら、今日の晩飯はお前の好きなアガペーだぞ〜!!!!!!!!!アガペーのサラダ、アガペー味噌汁、、、アガペーのフルコース。有るものならば食べてみたい限りである。愛は有限だ。

 

愛は鰹だ。心を削り節にして振りかけるものだ。なので、自分の鰹はあとどれくらいあるのか確認しながら少しずつまぶして欲しい。入れ過ぎたりすると味噌汁はしょっぱくて高血圧になっちゃうからね!

ついでに言うと恋愛経験が豊富な鰹も、味が濃過ぎていていけないのかもしれない。

 

以上、愛と恋をごっちゃにした悩める羊の交信でした。

ちなみに羊は鰹節じゃなくて岩塩を舐めるらしい。そりゃそーだ。

 

 

 

 

 

 

 

生きとし生けるものは皆、もう片目を直接見ることは叶わない。