世界から羊が消えたなら

ひつじを上から見ると、案の定毛むくじゃらに耳が生えているようにしか見えない。同じように人も背中から見ると顔が見えない。わたしが写真を撮るのが苦手、もしくはもし撮るならばなるべく後ろ姿を撮りたいのは、背中の事をちょっと怖いと思っているからなのかもしれない。

自分の目の事を当てはめれば分かるのだけど、人には目が2つしかない。1つの場合もあるし0の場合もあるし見えない場合もあるけれど、基本的には2つだ。人は顔の正面に付いたその2つの目と脳の調整によって物を見ている。立体感とか奥行きがわかるのも目と脳のおかげ。しかし、どんなに目が良くてもこっちを向いて人が立っていた場合は背中が見えないし、山を見ていても山の向こうは見えない。人の目は透視能力なんて備えていやしないんだから。

その人が後ろ手にナイフや言葉の暴力を隠し持っていたとしても、何も見えない。そもそも背中が存在しているのかすら分からない。影だけが落ち込んでいて、向こう側には言葉の通りに"何もない"かもしれない。なんだっけ、こういう絵画。前聞いたんだけどな…

彫刻なら回り込んで見れば背中があることも分かるし背中には何の武器も隠してないし深淵が存在しない事も分かるのだが、絵画だとそうもいかない。平べったいものの中に奥があるわけで、反対側から見てもそれはただの漆喰や紙や布なのだから、裏のことは想像するしかない。

だから、私は背中の写真が好きだ。どんな顔をしているか分からないのはやっぱり怖いけれど、より多くの情報が隠されることで想像の余地がある。少なくともナイフを後ろに隠しているわけではないし。まあ普段からこんな事を考えていない人は、そもそも背中の写真なんて興味もないし唾棄すべきものだと思っているのだろうけれど。

もしかして同じようにサモトラケのニケとかミロのヴィーナスも最初はただの石の塊にしか見えない彫像だったのかもしれない。ね。手の仕草も、紛失した顔も、きっと幸せだったのだろう。私がそう望む限り。