唯ぼんやりとした不安

沼田真祐『影裏』を読んだ。

本の虫の友達のおすすめを受けて、すぐ買って読んだ。自分に必要な気がしたから。

 

細長い板チョコ程度の大きさのリモコンをとって、部屋の電気を常夜灯の灯りに落とす。

リモコンとはまだ半年程度の付き合いだがボタンを見ずとも、6つあるどのボタンを押せば暗くなるか、明るくなるか、わかる。右の列の上から3番目。ぽち。

世界が薄ぼんやりとする。自分と世界との境界が曖昧になる中で、スマホブルーライトだけがくっきりと浮かび上がる。

 

こうやって意味もなく、考えもなく、文字を打ち込む。ひたすらに、自動書記みたいに。

最近は、あったこと、思った事を何かにつけ出力したいという衝動に襲われる。

 

例えば—、わたしは恋人が推しているアイドル、日向坂46の東村芽依や、三四郎や、あれや、これや(全く興味がわかない)の、行ったカフェや来ている服などの特定を頼まれることがあるので、手遊びでその特定をやっているのだが(あくまで悪用ではなく、頼まれたから仕方なく。住んでいる場所を特定しようとかは考えた事がない)。の、そういえばどうやって特定してるんだっけ?をまとめたノートなぞを書いてみようと思ってみたり。思ってみたはいいが、まだ実行に移せてはいないのだが。

あとは、Twitterの壁打ち垢。これは、今日思った事、恋人の好きだなあと思ったところ(あとグチ)、を、つらつらと、それこそ心の赴くままに書き下している。

衝動のまま生きているのだが、どれもこれも、恋人に左右されてない?それ、大丈夫?

 

自分の馬鹿、四半世紀生きて色恋沙汰で身をやつすんじゃないよ。

 

本を読んだ後にこうやって何かの形で文字を起こすと、少しだけ著者の言葉遣いが移ったように感じることがある。誰かに影響を受けやすい時分なのだろうか、身の回りのものを少しだけ解像度を上げて記す事ができる気がするので、悪い気分ではない。

自分の筆致は、自分の息遣いに宿る。人生で学んだ呼吸法を使って、わたしは今日もスマホをたぷたぷといわせるわけだ。

 

さて、本の感想なのだが、本当に、読むのにちょっとエネルギーを使うというか、気が付いたら消費されているというか……な文だった。

少しくどいくらいに、ミニアチュールくらい細かく行われた描写には、自分がその場に居て、同じ体験をしているように感じさせる迫力があった。

肝心の人物の内心の状況だったりは、正直的を射ていないような、今の常夜灯のようにぼんやりとした風合いに感じられた。ただ、その細か過ぎる描写から、人物が浮き彫りになるさまは、さながら版画の様で、ああこっちが描きたかったんだと合点もいった。

たぶん、簡単にいうと"直接書くとどぎつい"から、こういうふうになったんだろう。少なくとも私はそう感じた。

 

いい体験だった。

少し、今の感情にクリティカルに名前を与えてしまうのが憚られてしまうほどに、繊細な内容だった。

 

おすすめ。